#リストラ 病歴と生き方
こんにちは!
今日も、元気に、、、ひとりで病院通い、、、(笑)
今日は、2科、出来れば3科目まで
行ければ良いなあ。
大学病院だから、たぶん、丸一日かかるなあ。
▪︎免疫不全
▪︎胆嚢摘出
▪︎脂肪肝
▪︎高脂血症
▪︎難病 黄色靭帯骨化症
▪︎貧血症
▪︎低体温症
▪︎腎臓嚢胞 機能は健常時の3/4位
▪︎腸の癒着、腸閉塞
▪︎大腸ポリープ
▪︎肺炎の後遺症
▪︎逆流性胃炎
▪︎超ドライアイ
▪︎様々アレルギー
▪︎椎間板ヘルニア
▪︎他に手術多数、多臓器嚢胞持ち、
、、、健康保険使いまくり。
酷い目にあっても、なかなか、
会社員を辞められない理由でも
あります、、、、
そして、血液型がやばい、稀少なRHマイナス。
親戚縁者にいないし、、、
(劣性遺伝らしいので、36歳、60歳で他界した
お爺さん、お婆さんから引き継いだ可能性があるらしい、、、短命な家系だしね。)
振り返ると、大した事ない病気から
重傷まで、度重なる、病気による
手術、入院、、、
親兄弟は、今までに何度もお医者から、
「覚悟しておいてください」と聞かされたらしい、、、
先生、できれば意識がある時は
私にも言ってあげてくださいよ。
言い残す事もあるからさ!
▪︎輸血用の血液がなかなか手に入らず
危機一髪!
輸血が間に合うかどうかの時には、
貧血による酸欠で、
親兄弟には
「助かっても 脳細胞がダメージ受けるかも」
と追加報告、、、
★結局、わらしの脳みそは大丈夫だったのか?
今になって心配だよ!
▪︎術後に急に傷が開いて病院に向かう
タクシーで危機一髪!
傷が、治りにくい体質、、、
結局この手術後、3回再入院。
最後は、大出血を起こし
もう一度縫合やり直し緊急手術。
術後1ヶ月以上経っていたので
医者も首を傾げる稀なケースですが
摘出部にたまたま太い血管があり
なかなかくっつかないのが要因で
あろうとの事で、
血管だけを縫合し直したのです。
▪︎腸閉塞でチアノーゼ起こした時は、
私が意識不明だったので
友人が救急車呼んでくれたらしく、
助かった。
小腸まで、動いてなくて危なく、
意識不明なまま開腹手術される寸前!
にかろうじて目覚めた!
後、間も無く腸のも動き出しセーフ。
▪︎麻酔や造影剤の拒絶反応、危機一髪
など、、、、、
▪︎胆石で、胆嚢全摘した時、
保険出るしねと、
入院時都内の夜景が綺麗に見える
そこそこ豪華な部屋にしてたら、
麻酔の拒絶反応が酷くて熱が下がらず
入院が、伸び伸びになり経済的危機一髪も
あったな、、、笑
手術は、当時人気出立ての
内視鏡手術で、胆嚢全摘出と
巨大化した嚢胞摘出と腸の癒着剥がしを
科違いの2チーム連携で行いました。
ちなみに、私の胆嚢は
入院保険で13万円相当でございました!
もちろん、かなり足が出まくりです!
、、、あと、後に、違う先生に
「胆石の色は何色でした?」と
聞かれた事があります。
術後、麻酔の拒絶反応で死に掛けてたので
枕元の弟から、「(胆)石いる?」と問われ
「いらないし、見たくもないわ」と言ってしまったのですが、
後述の先生曰く「色は、重要なんですよ」との事ですので、参考になる方がいるかは不明ですが、確認した方がよいですよ!
また、数々の入院、手術には必ず
弟君が家族ぐるみで付き添ってくれ、
私の様々な摘出物の確認、(手術後必ず先生は成果として小さい小瓶にアルコール漬けになった摘出物を見せてくれます。)
「覚悟して」宣告を聞いてくれているので
感謝の念を、この場を借りて申し上げておきます!「弟よ、私の弟が君で良かった、ありがとう!」
たぶん、江戸時代なら10代まで
生きていられなかったと、、、
なんとなく、小学生の時から
ぼんやり、他の友達よりだいぶ具合悪い気は
してたけど、ずーっと不調なんですよね。
だからなのか、、、
親には、かなり、寛大に育てられました。
いまだに、好きな言葉や、大事に思う事は、
「自由」「自由な発想」
そして、
何となく、
「どんな場面でも、創意工夫、創造性を持って、今を楽しもうよ」精神が
培われた気がします。
戦うサラリーマンは、持病と付き合いながら
今、どうにかして楽しく仕事しようと
頑張ってる最中です!
そして、ブランコカフェにも行きました
関係ないけど
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